余白を編む家——地形的制約を“空間の必然”へと書き換える住宅 

一般に旗竿地は、形状の不利さや使い勝手の難しさから、注文住宅の敷地として“敬遠されがち”とされる。
しかし、本計画ではそうした固定観念を一度脇に置き、敷地が本来もつ潜在力を丁寧に読み解くことから設計を始めた。

逗子の静かな住宅地に位置する本敷地は、竿部分の通路を抜けた奥の土地が比較的整形でありながら、土砂災害特別警戒区域(レッドゾーン)の境界線が建築形状に明確な制約を課していた。

通常は“避けたい条件”とされるこのラインを、設計ではむしろ空間構成を導く輪郭として積極的に受け入れ、その制約をデザインの起点に据えている。

建物中央には、住まいの核となる大きな吹き抜けを設置した。上下階を隔てる水平面をあえて薄くし、空間どうしが呼応し合うような立体的連続性を確保することで、入った瞬間に広がる量感と軽やかさを両立。

光は時間帯によって異なる角度から差し込み、吹き抜けを介して全体へ柔らかく散り、通風もまた縦方向に大きく抜ける。

住まいにおいて“中心”とは必ずしも部屋の意味ではなく、生活を束ねる気配の場である—その思想を体現する構成となっている。

2階は壁を極力排し、ひとつの大きなワンフロアとして計画した。プライバシーの確保という従来の区切り方ではなく、床レベルのわずかな段差、そして素材の移ろいによって領域を分節している点が特徴的だ。

カーペットからフローリング、フローリングからタイルへと、床が“硬質へ向かうグラデーション”を描くことで、場所の性格が自然と切り替わり、心理的なゾーニングが生まれる。

この緩やかで連続的な空間体験は、吹き抜けとともに、平面的な間取り図では表現しきれない三次元的な居心地をつくり出している。不利とされる敷地形状やレッドゾーンの制限。それらを単なる条件と捉えるのではなく、空間の個性を引き出す“素材”として扱う姿勢こそが、本住宅の設計思想の核である。

外形の決定から内部のプランニング、素材の選択に至るまで、すべてが“制約を余白へと変換する試み”として一体的に結晶している。逗子の穏やかな環境の中で、この住宅は、敷地のポテンシャルを最大限に引き出しつつ、住まい手の生活に新しい視点と広がりをもたらす場所となっている。


外観は、道からの視線に対してほとんど情報を開示しない。量塊としての沈黙を重んじたその佇まいは、建築を見せるのではなく“気配だけを街に差し出す”姿勢をとっている。旗竿地という条件が導いたアプローチの長さは、視覚的な距離を物理的距離以上に引き伸ばし、住まいへ向かう行為そのものを“移行の体験”へと変換している。

玄関まわりにはレッドシダーが張られ、同材をまとった玄関扉が枠を持たないまま外壁と連続している。そのため、扉は建築の表皮に吸い込まれ、外と内を分ける境界線は明確な輪郭を消しながら、むしろ質感による深度として浮かび上がる。建築的要素の“消去”が新たな存在感を生む、寡黙な操作である。

表札は真鍮を一文字ずつ制作し、インターフォンカバーも真鍮製の特注品とした。金属が経年とともに深い色調へと変化していくことで、この住まいの時間が外装の表面に静かに堆積していく。
ポストは埋め込みとし、存在感を極限まで薄めるかわりに、室内のシューズクロークへ直接取り出せる動線を確保した。
機能を消すのではなく、街側の表情に負荷をかけない形で“建築の内部へと吸収する”操作である。

これらの外観的ジェスチャーは、いずれも“語らない建築”の態度を共有している。建築を形の集合体として見せるのではなく、素材の触感、光の射し方、沈黙の深さがじわりと滲み出るように構成する。
その静けさは内部の吹き抜けへとつながり、閉じた塊が開かれた空洞へと転じる体験的な対比をつくりあげる。

旗竿地の奥に潜む住まいが、道からの一瞥ではその全容を決して明かさないこと。
それは消極的な隠蔽ではなく、“内部で生まれる空間体験こそが建築の本質である”という静かな宣言に近い。

条件を超えるのではなく、条件を素材として読み替え、沈黙と余白を編んでいく——その思想が外観にもまた深く浸透している。

玄関扉を開くと、外界の沈黙から一転、モザイクタイルと繊細なリブ材が織りなすエントランスが来訪者を迎える。

タイルの細やかな反復とリブの縦方向の揺らぎは、素材そのものが空間を織り上げているかのようで、表現を過度に語らずとも場の密度を静かに作り出している。

ここでは建築的要素が“形”として主張するのではなく、触覚的な記憶や身体の動きの変化によって空間の意味が立ち上がる。

間接照明は、光源を表に出さずに素材の表情だけをそっと撫でるように配置されている。光は壁や床に落ち、輪郭を曖昧にしながら深度だけを強調する。

その操作はホテルライクな雰囲気を生む装飾性というより、光そのものを“空間の呼吸”へと転換するための静かな構成だ。エントランスという移行の場が、外部の硬質な沈黙から内部の柔らかな広がりへと身心を調律する領域として機能している。

このエントランスは、単に家の内部へ誘うための前室ではない。外壁に溶け込む扉を抜けたその先に広がるこの小さな空間が、内部に展開する吹き抜けやワンフロアの構成へと向かう第一歩となり、空間全体のリズムを決定づける“序章”としての役割を果たしている。

光・素材・静けさの重なりが、訪れる者の感覚をゆっくりと解きほぐし、住まいの中心へ向かう意識の準備を整えていく。

エントランスはここでも制約に屈することなく、むしろ場所の“始まり”を丁寧に定義するための最小単位となっている。

外部の無言の量塊から内部の余白と立体感へと連続していく、その転調の瞬間が最も濃密に現れる空間として、この住宅の思想を静かに体現している。

寝室へ足を踏み入れると、床が一段沈み込む。その“落差”は単なる段差としてではなく、身体の重心を静かに内側へと誘い、外界から切り離された私的領域へ移行したという感覚を明確に刻む装置として機能している。

天井高は2.7mと豊かに確保され、床の低さとの相対によって、空間は数字以上の伸びやかさを獲得している。

建築的な高さの操作が、身体感覚そのものを書き換える瞬間だ。

ベッド背面には造作のボードを設け、その周囲を間接照明が柔らかく縁取る。
光源を直接見せないこの照明のあり方は、単に“ホテルライク”な演出にとどまらず、空間の輪郭を光がゆっくりと撫でるように立ち上がらせる。

とりわけ陰影の奥行きが豊かに現れるのは、壁に凹凸をもつリブ状の意匠があるからである。わずかな起伏に光が触れた瞬間、空間は平面性から解かれ、光と影が織り込む立体的な表情へと変化する。

光は素材を照らすのではなく、素材が光を受け止める。その逆転の感覚が、寝室を静謐な領域へと昇華させている。

床はタイル仕上げとし、適度な硬質さと均質な反射が空間の緊張感を保つ。柔らかな光と硬い素材という対極的な要素が、沈む床と高い天井というもうひとつの対比と呼応し、この小さな室を単なる“寝るための部屋”から豊かな質の場へと変容させている。

ここでは、建築的操作が目的として存在するのではなく、身体が空間に触れることで初めて成立する“感覚の場”として構成されている。

この寝室は、家全体に通底する思想——制約を素材に変換し、余白を編んでゆくという姿勢——が最も密度高く凝縮された空間のひとつである。

高さ、光、素材、それらが声高に主張することなく、静かに響き合うことで、住まい手の時間を深い安らぎへと沈めていく。

住宅の中心には、三角形の巨大な吹き抜けが穿たれている。その形態は単なる幾何学的操作ではなく、敷地条件から導かれた必然の“空洞”として建築内部に現れている。

三角形という尖鋭な構成は、空間を不安定にするのではなく、むしろ上方へ向かうエネルギーを集中させ、垂直方向の伸びやかさを強く意識させる。建築が重力と光の流れをいかに受け止めるかという、根源的な問いに対する一つの応答といえる。 

吹き抜けを貫くように配置された造作の鉄骨階段は、量塊を分断するのではなく、むしろ空間を“縫い合わせる”役割を担っている。
踏板の軽さと鉄骨のシャープさが、重力に抗いつつも場の緊張をわずかにほどき、上下階の移動を儀式性を帯びた体験へと変換する。階段は単なる動線ではなく、吹き抜けという巨大な空洞と人の身体を媒介する触媒である。 

床にはブラックウォールナットの挽板フローリングが敷かれている。その深い色調は吹き抜けから差し込む光を吸い込み、時間帯によって柔らかな陰影へと変換する。

素材が光を受け止める重さと、鉄骨階段の軽さ、その二つの対極が空間に均衡をもたらしている。また、1階廊下も天井高2.7mを確保しており、吹き抜けと連続するスケール感が、住まい全体に“のびやかさの記憶”を行き渡らせている。 

この吹き抜けが存在することによって、1階全体は昼夜を問わず柔らかく照らし出され、光が玄関にまで流れ込む。外部では一切を語らない沈黙の外観が、内部では光と影の振る舞いによって静かに揺らぎ、空間の性格を変容させていく。

この対比は、建築が“閉じること”と“開くこと”を同時に引き受けるという矛盾を受容し、そこに新しい秩序を見出そうとする態度に近い。 

三角形の吹き抜けは、単なる構成要素ではない。

敷地の制約を読み替え、外部の沈黙と内部の立体性を接続する、この住宅の“呼吸の中心”として機能している。光、重力、素材、身体——それらが三次元的に交差する場所として、この空洞は住まいの思想そのものを可視化している。

住宅内部の各所に用いられた神谷コーポレーションの高さ2.7mのハイドアは、建築のもう一つの重要なテーマを象徴している。
枠を見せずに天井へと連続するその姿は、ドアという“開閉のデバイス”を建具としての記号性から解放し、建築の一部として静かに溶け込ませる。

住まいに点在する複数の開口が、壁と同一の平面として扱われることで、視線は分断されず、空間は途切れることなく続いていく。“間を仕切る”のではなく、“境界の存在を希薄にする”という態度が全体に貫かれている。

サンワカンパニーの洗面台と水栓は、素材の冷たさではなく、その抽象性が選定の理由であるかのように空間に佇む。

鏡の背後から柔らかく放たれる間接照明は、顔を照らすためだけではなく、洗面台まわりをひとつの“場”として成立させるための光である。

合わせて造作されたニッチは、単なる収納としての機能を超え、光の落ち方によって小さな陰影の劇場を生む。最小スケールの建築というべきディテールが、空間に緊張と余白を同時にもたらしている。

脱衣所を別室として切り離し、洗面室をあえて仕切らない構成としたことで、この家には従来の“廊下”という概念が希薄になっている。

動線が線としての経路ではなく、空間の連続として読み替えられているため、移動そのものが体験化され、内部の各所が互いに滲み合うように響く。

これをさらに促しているのが中央の吹き抜けである。空間は階層を越え、領域を越え、機能の境界を越えてつながり続ける。

こうした操作の積み重ねは、建築を“部屋の集合”としてではなく、“空間の状態が連続して変容し続ける場”として再定義している。

ドア、洗面、照明、階段——一見細部に見える要素が、それぞれに建築的理念を担い、静かにその思想を可視化している。

住まい手が歩くたび、振り返るたび、居場所を変えるたびに、空間は新しい深度を示し、建築が持つ多層性がゆっくりと立ち現れる。

この住宅において“境界”とは、閉じるための線ではなく、開かれ続ける余白そのものである。

2階は、トイレを除きいっさいの扉を排した一室空間として計画されている。

上下階の区切り方そのものを問い直すような構成であり、ワンフロアの“LDK”という概念を機能的三区分としてではなく、ひとつの大きな“生活の風景”として扱った試みである。

階段を上がった瞬間に広がるのは、リビングとしての場——しかし、その境界はどこにも線として引かれていない。床、壁、開口、そして眺望が、ゆるやかなリズムで空間を差異化しているにすぎない。

リビング中央には造作ソファが据えられ、その背面には重心の低い石壁が控えめに構えている。
石の質量が空間に静けさと安定を与え、階段を上がる動きの高揚を受け止める“重し”として機能している。

大開口の窓は、室内の密度を一度解きほぐすように外部へと視線を導き、山の稜線と街並みが遠景として立ち上がる。時間帯によって刻々と表情を変えるこの眺望は、夕日に染まる瞬間が最も劇的だ。

光が沈みゆく方向へと空間が自然に開かれているため、住まい手の身体もまたその流れに巻き込まれ、日常が静かに“時間の観測”へと変わる。

床材にはカーペットが敷かれ、1階のフローリングとは異なる柔らかな触感をもって空間の性格を刷新する。階段を上がった瞬間、足裏の感覚が変わることで、2階が独立した世界として立ち現れる。

リビングとダイニングではさらに微妙に異なる素材を用い、対象を“区切る”のではなく、“素材の変調によって領域が立ち上がる”というこの住宅の根底の思想を踏襲している。

このようにして2階は、壁による閉ざしではなく、素材・光・眺望の重なりによって構成された“開放の一室”として存在している。上下階を貫く吹き抜けが内部に立体性を与えたように、2階の大開口は外部との時間的関係を建築に引き込み、生活のリズムを環境へと接続している。

扉の不在は単なる省略ではなく、生活の動きそのものをひとつの連続的な体験として捉え直すための選択である。

その結果としてこのフロアは、機能を収める器ではなく、“生活が風景へと変わっていく場所”として、静かに違ったスケールの豊かさを獲得している。

床の高さと素材の違いで空間を仕切る

 

この住宅を特徴づける核心のひとつは、空間の分節を“壁”ではなく“床そのもの”に委ねている点にある。

一般的に間取りは垂直の面——壁——によって領域を確定させるが、本計画では水平面の高低差、そして素材の密度や触感の差異が、空間の性格を静かに描き分ける。
こうした構成は、部屋という概念を固定した境界として扱うのではなく、身体の移動と感覚の変化によって場が徐々に立ち現れるという、建築のより根源的な姿勢へと接続している。 

2階のリビングは絨毯によって柔らかく受け止められ、足裏の触感が空間の重心をわずかに低く設定する。
そのリビングから一段上がると、床材はフローリングへと変わり、素材の硬度が空間の緊張をわずかに高める。

ダイニングが“食事をする場所”としての特性を壁で区切らずとも自然に獲得しているのは、この床レベルの操作と、素材が持つ触覚的な差異が織りなす作用によるものだ。視覚よりもむしろ身体が先に領域の変化を察知する設計である。 

奥のキッチンは約11帖の広さを持ち、GRAFTEKTのアイランドキッチンを中心に据えた空間構成となっている。
ここでは床と壁をタイル張りとし、明確な素材の切り替えが空間に強度を与えると同時に、キッチンが“作業の場”であるという性格を端的に示している。

さらにキッチンの床そのものをあえて一段上げ、リビング・ダイニングとは異なるレベルを設定している点が印象的だ。その高まりは視線の流れを軽やかに持ち上げ、場所の役割を身体感覚として明瞭に浮かび上がらせる。 

天井にはマホガニーが張られ、床のタイルの硬質さに対して、濃密で温度感のある木材が対照的に響く。上方向へ素材を変えることで、キッチンという機能空間がひとつの“小さな舞台”のような領域性を獲得している。

天井の素材が空間の重心を引き締め、アイランドキッチンの中心性をより強く印象づける。床・壁・天井という三つの面がそれぞれ異なる素材を帯びつつ、ひとつの必然的な場所性——“つくる行為の場”——を立ち上げている。 

こうした一連の操作はすべて、壁によらずとも空間を構成できるという建築の本質的な可能性を示している。レベル差と素材の階調が、空間を静かな連続として保ちながらも、生活の風景に深い奥行きをもたらす。

境界をつくるのではなく、境界が自然に立ち上がる。この住宅が目指したのは、まさにその“気配としての間取り”であり、生活が風景へ変わっていく建築のあり方である。 

 

ダイニングは、絨毯のリビングとタイル張りで床を持ち上げたキッチンとの“あいだ”に位置づけられている。
床材はフローリングとし、そのレベルは両者の中間に設定されている。
このわずかな高低差は視覚的には控えめでありながら、身体感覚には明確な変化として立ち上がる。

リビングの柔らかい沈み込みから一段上がり、さらにキッチンへと向かう前の緩衝帯として、ダイニングは空間のリズムを調律する“水平の節点”として機能している。 

ここでは、素材の切り替えが場の性質を規定するだけでなく、高さそのものが空間の位相をつくりだしている。
壁が境界をつくるのではなく、床の連続と段差が“生活の風景”を静かに分節する。
これは本住宅の核となる思想——境界が与えられるのではなく、身体の移動と素材の変化によって自然に生まれる——を最もわかりやすく示す場となっている。 

カウンターとダイニングテーブルには、いずれもタモの無垢材が用いられている。
同一の素材が二つの異なる家具を横断し、視覚的にも触覚的にも強い統一感をもたらすことで、ダイニングは“食べるための場所”という機能以上の意味を獲得する。

無垢材がもつ素朴で均質な表情は、階段を上がったときの吹き抜けの開放感や、リビングの柔らかさ、キッチンの硬質さをまとめあげ、空間全体をひとつの大きな生活の風景として束ねている。 

この長さとスケールを備えたダイニングテーブルは、10人以上が集い、食事や会話を共有できる余裕をもって計画されている。
その大きさは単に“多人数に対応する”という機能的な理由にとどまらず、この住宅が持つ“人が集まる場としての拡張性”を象徴している。

リビングの柔らかい沈み込みから、キッチンの高まりに向かう導線の中心で、ダイニングは生活の核としてだけでなく、共同性の核としても機能している。 

素材、高さ、動線、そしてスケール——ダイニングはこれらすべてが調和し、家全体の思想を最も開かれた形で可視化する場所となっている。

ここでは、食事という行為が単なる日常ではなく、空間によって深められた“ひとつの時間の場”として立ち上がるのである。